♪サイクリング、バスケのことをメインにふぅの日常のことを記録しています。
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2019/8/25(日)夏祭り
今月6日、元の職場の老人ホームのホーム長から直々に、夏祭りでリコーダーを吹いて、とお声がかかりました。
そのホームを離れてから3年過ぎます。
昨年も一昨年も、夏祭りの応援に行きました。

11時頃来てほしいとのことで、ホームの近くのコンビニで、スタッフへの差し入れにアイスを買って行きました。

1階のY様、K様の部屋を訪ねると、お二方とも入口に立った私を見ただけで、わかってくださり、名前も憶えていて下さいました。
次は3階へ。
リビングにシロー様とN様がいらっしゃいます。
シロー様は、離れた所からでも私を見つけると、気が付いて喜んで下さいました。
しばしシロー様とおしゃべり。

次は、フロアで作業をされているN様。
皆さんの介護用に湿らせたウエスをスタッフが使いやすいように巻いて下さいます。
今日も以前と変わらず器用に巻いていらっしゃいました。
目が見えなくなってきたと仰っていましたが、今も読書を続けていらっしゃるとのこと。
体力が落ちたと自嘲されていましたが、まだまだお元気です。
シロー様もN様も90才を超えています。

S様の部屋をノック。
ベットに腰掛けていらっしゃいました。
もうすぐ100才ですが、入口に立った私を名乗る前に気が付いて下さいました。名前も。

皆さん凄いです。
私なんて、1年経つと、にわかには入居者様の名前が思い出せず、事務所で名簿をもらって復習しなければなりませんでした。

A様は昨年お会いした時も、私のことは忘れていらっしゃいましたが、今日フロアで声をかけ、A様が好きだった「支那の夜」をリコーダーで吹いたり一緒に歌ったりしました。
声は相変わらず大きくてお元気でした。

1階フロアに戻り、出店の手伝いをしました。
お皿にお好み焼き、ウインナー、焼き鳥、じゃがバター、枝豆を分けていく作業。

立ち仕事は疲れます。

1時半頃、3階に上がり、2時からの盆踊りまで、少しずつ誘導されていく皆さんを待ちながら、頼まれていたリコーダーを吹きました。

昭和の歌本の目次を見て曲を選んだり、入居者様のリクエストに応えて即興で吹いたりしました。

最後にと、リクエストによる「幸せなら手をたたこう」で締めましたが、まだ次の準備ができていないようなので、炭坑節と東京音頭を吹きました。
皆さんも一緒に歌っていらっしゃいます。
東京音頭、なぜか途中から同期の桜になってしまいました。
もう一回東京音頭を吹いたら、ちゃんと吹けました。

2時、ボランティアの人による踊りが始まりました。
女性一人です。
最初は一人で八木節を披露。
次に炭坑節。
入居者様達は殆ど座って見物。
スタッフが中央に出て踊ります。
私も。
掘ってぇ掘ってぇ担いで担いで後下がり
押してぇ押してぇ開いてチョチョンガチョン
更にテンポを上げます。
東京音頭。私は右膝が痛むので休みました。
八木節。私もまた輪の中に入ります。
まぁるまぁる(右にジャンプして)右チョン(左にジャンプして)左チョン
これを何回も繰り返し。
結構ハードです。
東京音頭と八木節を長らく繰り返し。
八木節では、ジャンプするごとに、あソレ、エンヤコラ、うんとこしょ、あドッコイ、まだまだぁと合いの手を入れながら頑張りました。
法被を着ていたので、暑いこと!
でも、八木節でスタッフのジャンプが揃うと見ものでした。
楽しかったけど疲れました。
途中でリタイアした中堅のスタッフも居ます。

3時終了。
皆さんが各フロアへ移動中も、リコーダーを吹いて送りました。
後片付けを手伝い、1階に戻ると、リビングでおやつの時間。
盆踊りに参加されなかった方のために、またリコーダー演奏。
事務所にも聞こえているので、喜んでくれます。

最後はスタッフルームで少し休んで、ホーム長達に挨拶して帰りました。

家に帰ると見たいビデオか溜まっています。
でも、疲れて、見ては寝入ってしまい、目が覚めて巻き戻してはまた再生して、それの繰り返し。

今日はそんな日曜日でした。






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永山監督ご勇退
神奈川新聞2018/11/26掲載記事

私は、大学時代、プレーヤーとしてバスケット部に所属していましたが、マネージャーとして準硬式野球部のお手伝いもしていました。
練習日に参加したり、試合のスコアラーをしたり、追浜球場や横浜スタジアムでうぐいす嬢を経験させていただきました。
長野県や大島で行われた、夏、春の合宿にも参加しました。

その野球部の永山監督が53年間務められたという監督を昨年の秋勇退されました。
昨日2月10日(日)、その勇退式が大学のレストランで行われました。
奥様も同席されています。
私は、岐阜県在住の、一緒にマネージャーをやったヨシキと一緒に出席しました。

OB100名、現役40名の多数出席で、立食パーティは盛会となりました。

在任中の大きな病気も乗り越えられ、ほぼ半世紀神奈川及び大学の準硬式野球部の発展にご尽力されたこと、本当に頭が下がります。
監督は、温和な表情の中に、いつも眼光鋭い方というのが、私の持つ印象です。

13時開始。
最初に約15分のスライドショー。
そして40年卒、55年卒、平成16年卒、現役、昭和59年?卒、49年卒の6名が代表して、各々5分スピーチがありました。
それからビールで乾杯。

皆が一人ずつ話すのは、人数が多すぎるので、卒業年度でグループに分け順番に対談と写真撮影を行いました。
順番を待ちながら、懐かしい面々と料理をつまみながらの対談。
私が知っている先輩や後輩は、ほとんど卒業後初めて会う人ばかりです。
もう懐かしくて懐かしくて、興奮しました。
昔と全然変わらない人、名前を見ないと(全員に名札が配られ胸につけている)わからない人、名前を見ても思い出せない人、様々でした。
女子マネージャーは何人も来ていましたが、その中では私たちが一番の古株の様でした。

最後に記念品贈呈式があり、記念品、お花、寄せ書きの色紙などのプレゼンターとして何名かが幹事から指名されています。
私達も、色紙を渡して欲しいと直前に依頼されました。
贈呈の際に、ひとことずつスピーチをしました。
私は、マネージャーになったいきさつや、永山監督が長くいらしてくださったおかげで、OB戦の日に大学グランドまで子連れで行ったこと、自宅から自転車で行ったこと、OB会の宴席には一度だけ出席しその後は、一次会のお店の外で同期と落ち合って、監督にあいさつだけしたことなど、そういうつながりの機会を与えて下さったことなどへのお礼、神奈川県及び当大学の準硬式野球部の発展にご尽力いただき、神奈川県リーグ優勝、関東甲信越大会優勝など立派な成績をおさめられ、卒業生として誇り高く思い感謝していることなどをお話ししました。
奥様も、時々グランドに遊びに来られたり、監督のお宅での新年会でご馳走になった思い出話もしました。
ところどころジョークを挟みながら、いささか緊張したけれど、我ながら人前で話す度胸はまだ残ってるのかなと思いました。

ずーっと立っていたので、足が痛くなりました。
ヨシキは平気で、他の人達も平気そうでした。
私は、走り回る元気はあるけれど、立ちっぱなしは苦手です。

迎車タクシーに監督ご夫妻が乗車されたのを皆で見送った後、解散。
近い年代の人達は、徒歩20分ほどの相鉄線和田町駅まで歩いて行き、二次会があるようですが、私達は近くのバス停から市営バスに乗って横浜駅に戻りました。
大学に向かうときも、今日岐阜羽島から新幹線に乗ってきたヨシキと横浜駅で落ち合い、まだ早すぎるので喫茶店でお茶してからバスに乗っていきました。
ヨシキは鎌倉のご親戚の家に泊まり、翌日アオと3人でまた会うので、バスを降りるとそのまま横浜駅で別れました。




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元同僚と遭遇
会社の帰りの田園都市線のホームで、見たことある人を見つけました。
仕事帰りの彼は各停電車を降りたところ。
私は、今日は遊びに行くので、いつもと逆の方向に向かうのですが、それには乗らず、次の準急を待つ間、立ち話をしました。
8年ほど前に私が退職した会計事務所で彼はまだ働いています。
私より一回り年下の彼は、見つけた時は白髪も生えて随分老けたなあと思い、真っ先に「いくつになったの?」なんて聞いてしまいましたが、話しているうちに、昔ながらの長身でスレンダーな体型で、変わってないと感じました。
昨年初めての子供が生まれたそうです。
奥さんも元同僚で庶務の仕事をしていて、職場結婚です。
奥さんは若かったと思うけど、お子さんが二十歳のとき、彼は70才手前。
おめでとうとは言ったけど、内心大変だなあと思いました。

電車が来たので、サヨナラしました。
わあ、懐かしかった!
イケメンでスラッとしていて、優しくてナイスガイの彼。
会えて、感動しました。


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2018/9/2(日)夏祭り
昨年も出かけた元職場の老人ホームの夏祭り

今日行って来ました。
元同僚のジュンコも誘ってみましたが、彼女は今の仕事で疲れているので、私だけ夏祭りに行って、その帰りに、夕方会うことにしました。

スタッフは、入社3~4年目の人達は、経験を積ませる意図で他の職場に異動となり、古株のスタッフはいっぱい残っていて、私の知らないスタッフは若い人ばかりでした。

入居者の方達は、変わらず達者な方、退所された方、亡くなられた方、様々でした。
予めスタッフから私が来ることを聞かされていた方達は、私を見ると、涙を流して喜んで下さいました。
今も元気だけど、私のことを忘れてしまった方もいらっしゃいました。
まだお元気な方達の顔を見た私は、また来年その方達に会えるのが楽しみに思えました。

3階で盆踊りが行われています。
真ん中に和太鼓がふたつ。
入居者様のご家族が浴衣を着て踊っています。
私が隅で見物していると、ホーム長に見つかり、踊ってと引っ張り出されました。
入居者の方達は、周りに円になって椅子に座り見物。スタッフは忙しい。
私、踊ったこともないのに、ご家族様(以下M様)の躍りを見よう見まねで踊りました。
その方、とても躍りが上手なのです。
炭鉱節を踊りました。
激しい躍りではないのに、ずっと踊っていると結構いい運動で汗も出てきます。
M様は、私より年上だと思いますが、その前からずっと踊っていらしたのに疲れた素振りもなく、感心させられました。

盆踊りが終わり、スタッフが順に入居者様を誘導する間、また私のリコーダーで場繋ぎ。
皆さん、一緒に歌って下さっています。

私は当時、1階と3階を担当していたので、その階の、まだ私を憶えて下さっている方達の部屋を回りました。
1階に下りると、夏祭りの出店の片付けが済んでいて、皆さん部屋に戻られていました。
K様のお部屋でおしゃべりしたあと、ここ(リビングから一番離れた端の部屋)でも聞こえるから、またフロアで笛を吹いて行ってとリクエストされたので、1階でも、スタッフだけが居るフロアで、数曲吹きました。
事務所でもその音が聞こえるので、ホーム長がいらして、ホーム長ともひとしきりおしゃべりをしました。
ホーム長とはそんなに長い付き合いはありませんでしたが、私を買ってくれていたので、話しやすいのです。
馴染みのスタッフともおしゃべりをして、5時頃ホームを後にしました。
楽しかったです。

ジュンコと連絡を取って、小田急相模原で夜8時頃まで飲んで帰りました。


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筑紫高校時代
捜索中の七五三の着物ですが、どんな着物だったかはっきり思い出すために写真があるかと、うちにあるアルバムを開いてみました。
私の家に家族が揃っていた頃のアルバムは無く、私の独身時代のアルバムがありました。
開くと、先日懐古の旅で行った筑紫高校時代の写真がありました。

高校1年
多分体育祭の練習の時期だったと思います。
珍しく長髪の私。
この高校に転入する前に通っていた京都の高校の古文の先生が、平安時代は髪の短い人がブスとされていたと言われたので、髪を伸ばしました(単純か?)。
筑紫高校時代
2年になってバスケット部ができ入部したので、邪魔な髪を切りました。
バスケット部で顧問の先生が転勤されるため送別会をやったような気がします。
筑紫高校時代
後ろに宝満山が見えます。
筑紫高校時代
顧問の先生は男子の体育の担当でしたが、順天堂大学の出身で、私が通っていた京都の中学校の中3の時の担任の先生の陸上部の後輩でした。
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