♪ふぅのひとりごとと、日常の会話の中でウケた話をネタとして記録しています。ネタ、ウケたら拍手をお願いします。
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高校クラス会
2月18日(土)12時よりグ神奈中ランドホテル平塚にてクラス会が行われ、参加しました。
担任の先生(82歳男性)、クラスメイト32名、他クラスより3名の合計36名。
高校は保土ヶ谷にありますが、会場は先生のご自宅のそばに決まりました。

3時間にわたって一人一人の近況報告、歌、先生のスピーチ、校歌合唱などなど楽しみました。
先生もお元気で、大変嬉しく思いました。
遠い所ではエジンバラ、シアトル、広島、札幌、山梨、埼玉からの参加者もいました。

父が倒れてから、ドタキャンの可能性も出て、少なくとも会計の仕事は辞退しようかと思っていましたが、父は先に亡くなり私をクラス会に行かせてくれました。会計係もそのままです。

転校が多く、3つ目、3年生の四月に編入して卒業した高校です。
他の皆は2年生からの持ち上がりのクラスです。
エリート揃いの中で、私はクラス対抗バスケットボール大会で目立ったくらいでしょうか?
先生も、このクラス、この学校は長い教師歴の中で一番印象が強かったそうで、転校生の私のことも憶えていてくださいました。

二次会は横浜に移動して。
私もいつもなら参加するのですが、さすがに疲れがたまっていて、帰ってからやることもあり、次の日も仕事だったので、横浜までは行く気力がなく、先に電車を降りました。
帰りはマッサージ屋に駆け込んだよ。

もっと皆ジジババになってるかと思っていましたが、皆さん肌艶も良く、卒業後30余年紆余曲折があったにせよ、今が幸せなんだなあ、だからこういう会に参加できるんだなあ、とつくづく思いました。


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最期まで素晴らしかった我が父
1月30日(月)公休
  父緊急搬送。
2月2日(木)夜勤
  父の容体悪い。
2月3日(金)夜勤明け
  帰宅後寝てから夕方病院へ行く。実家に泊まる。
  母の介護保険証と健康保険証を探し介護保険証のみ見つけて夜中3時前に就寝。
2月4日(土)公休
  午前中母を内科へ連れて行く。介護認定調査に必要な主治医の意見書をお願いする。母は何年も病院に行っていない。血圧220/62!市の無料健康診断を実施。
  健康保険証がないので、とりあえず10割支払う。
  午後次兄と地域ケアプラザへ行き、介護認定調査を依頼する。
  夕方母を歯医者へ連れて行く。前歯がグラグラで抜けそう。抜歯する。歯は抜けたまま。
  夜自宅に帰る。運転中眠くてたまらないが無事帰宅。
2月5日(日)公休
  午後、前から約束していたので知人にパソコンからBL-Dが見られるように設定作業に来てもらう。
  夜、マサコさんちに忘れ物の手袋と千葉サイクリングの写真を届ける。
2月6日(月)早番
  病院より呼び出しあり、仕事を終え一旦帰宅して車で病院へ。危篤になったとき延命処置をするのかしないのか早く決めてほしいとのこと。母のひとこと「早く昔のお仲間の所へ行かせてあげて。」で延命処置はいらないとその場で回答。
2月7日(火)日勤
2月8日(水)夜勤
  三重県在住の兄、早朝実家に到着。広島県在住の姉、昼到着。
2月9日(木)夜勤明け
  8:37姉から「父危篤」の留守電あるが、仕事中で気付かず。
  8:45長兄から「父危篤、早く来い。」のメール入るも、仕事中で気付かず。
  9時半頃、事務所より家族から電話ありとの連絡入る。
  9:34兄嫁より電話「お父さん、亡くなりました。」兄嫁号泣している。
  9:30終業だが、残務あり。私は冷静だった。ホーム長に、申し出る。その途端、胸が詰まって言葉にならない。残務は他のスタッフに引き継ぐ。
  9:40長兄よりメール「父臨終。2月9日9時33分」
  その日予定の会社の健康診断はパス。
  自宅に戻る途中、まとまった現金をおろす。
  帰宅後眠らずに11:05車で病院へ向かう。居眠りしないように窓を全開にし、大きい声で歌いながら運転する。
  12:30頃病院に到着。
  母、私の兄姉、次兄の嫁、姪ひとりが病院で私が着くのを待っている。
  私は泣かない。
  私が到着したところで皆で臨終後の父に会う。酸素マスクははずされていて死に化粧をしてきれいな顔。安らかな顔をしている。死に化粧をする前に会った者も居る。
 
  なんて素晴らしい死に方、と思った。
  遠くに住む子供たちが会いに来るまで生きていて、私の仕事が終わる頃息を引き取った。
  倒れてから約10日。皆に父と会う時間をくれた。父の死を覚悟する時間をくれた。残った者に苦労をかけずに亡くなった。
  享年90歳。
  病気らしい病気はなかったが、交通事故の後遺症で、足の痛みに苦しんでいた。でも弱音は吐かなかった。
  もう、十分生きた。もう頑張らなくていい。もう苦しまないでゆっくり休んでください。
  そういう気持ちで見送れた。ただ残念なのは、自分史を手掛けていながら完成できずに逝ってしまったことだ。
  父の部屋から、自分史の資料がみつかった。
  生前(わりと最近)、陸軍幼年学校、陸軍士官学校を出て、戦争にも行った父に、「戦争のこととか、お父さんの体験談をもっと聞きたいなあ。」と言ったら、「今、それを書いているところだ。」と言った。

  13:00時過ぎ、葬儀社により自宅へ搬送。
  菩提寺に連絡。葬儀社と葬儀の日程を決める。
  父の仕事の関係者に知らせる。訃報を流してもらう。その他親戚や各自の関係者に訃報を通知。
  母喪主。長兄施主。次兄葬儀社との窓口。姉親戚との連絡窓口と母の世話。私菩提寺との窓口と父の仕事関係の人との窓口と会計と仕切り役。嫁ふたり料理担当。その他若い連中は随時手伝い。
  夜勤明けのこの日、夜11時半頃寝るまで前日から約36時間覚醒。
  実家に泊まる。
2月10日(金)公休
  10:00菩提寺に行って打ち合わせ。母と兄弟4人で。
  15:00葬儀社と打ち合わせ。
  18:00頃予約していたので母を連れて歯医者へ。母が混乱気味なので治療はせず、仮の歯を接着剤で留めただけ。
  21:50車で自宅に喪服を取りに戻る。眠い。自宅で寝る。
2月11日(金)公休
  午前中に私が行く予定だった母の健康保険証の再発行手続きに兄嫁が行ってくれたので、ゆっくり起きる。
  13時半実家に着く。
  15:00葬儀社と打ち合わせ。
  通夜の前に父を迎えに来る車が長く家の前に駐車するのでご不便をかけるからと、近所にその旨あいさつに行く。  
  自宅での最後の晩。お酒が好きだった父の横で宴。
  母、長兄夫婦、名古屋から来た長兄の長女夫婦とその子供(生後3か月)、長兄の長男(三重)、姉、次兄夫婦、次兄の長男と長女、私と私の次女夫婦総勢15名。
  歌が好きだった父のために私のギター伴奏で皆で歌う。明るい宴。歌詞やギターコードは私の次女の夫所有のiPadで検索。母も歌う。
2月12日(土)服喪休暇
  姉の長男と長女広島から到着。私の長女大和市から到着。
  14:30~納棺15:30自宅から出棺。棺の乗る車に喪主と施主も同乗。
車4台に分乗して斎場へ。長兄の車(長兄の嫁と長男が三重から乗って来た)と次兄の車と私の車と私の次女の車(茨城から乗って来た)
  18:00~通夜
  通夜でも、式の後、食席でアカペラで合唱。歌が好きな私のいとこ(上品な大阪のオバチャン)も加わる。若い連中、唖然としている。
  母の前歯、鳥のからあげを食べて取れる。歯抜けのまま過ごす。
  20時頃、母が疲れたから帰りたいと言ったのを機にお開き。
  長兄夫婦、次兄、私は親族控室で泊まる。
  大阪のいとこをホテルまで見送る。
  他は、父の家、自分の家、ホテルに戻る。
  斎場に泊まる4人で飲んでいたら(長兄は23時頃床に就く)、若者たち(娘、甥&姪)が斎場に合流。私の長女は翌日仕事のため帰宅。
  父が倒れてから亡くなるまでの経緯を若者たちに私が話す。父の思い出話、その他諸々語り合う。若者たちも涙している。
  夜中の3時半頃、中締めで、若者たちの半分くらい寝に帰る。
  私は長兄の嫁と父の所へ話しに行く。思いもよらず私はこのとき初めて号泣する。
  部屋に戻ってまた語り合い、朝5時前に解散、就寝。
2月13日(日)服喪休暇
  11:30~12:30葬式。
  出棺 最後にお声をかけて差し上げて下さい。
  母「もうすぐ、あとから行くからね。」会場からかすかな笑いが漏れる。
  私「お母さんは子供たちが守りますから、もうしばらく待っていてね。」同様に笑い。
  私「おとうさんの精神は、子供たちがしっかり引き継ぎます。」
  兄嫁「お父さん、いっぱい一緒に歌いましたね。」
  私「ありがとうございました。」
  皆、感極まった様子で何も言えない。涙しているが、号泣する者も居ない。

  私は母の言葉に、父への愛情を強く感じた。
  母は、あとで「あなたの『ありがとうございました。』を聞いて、私もそれを言えば良かったと思った。」と言った。

  火葬、初七日法要、精進落とし。
  15:30遺骨とともに実家に戻る。
  祭壇が作られ、焼香の儀で解散。

  葬儀は、現役を辞して何十年も経つのに、2つの某団体の会長を務めていたので、政治家など重鎮その他大勢の方が会葬に来てくださった。自治会の新年会などにも毎年顔を出していたので、近所の方も大勢来てくださった。行きつけの飲み屋からも来てくださった。
  誰からも愛された父だったと偲ばれる。
 
  葬儀社から遺族がやることについて説明。
  葬儀社が帰る前に、集まった親族の写真を撮るためにシャッターを押してもらう。
  帰る者、父の家に泊まる者。

  葬儀の間は、とてもいい天気で暖かく、晴れ男の父にふさわしい天候だった。
  でも、葬儀が終わって夕方になると。細かい雨が降り出した。

  私は食材の買い物。
  実家に泊まる。
2月14日(月)公休
  9:30姉と姪を駅まで車で送る。
  次兄は9日から休んで14日から仕事。
  長兄は既に定年退職(定年の早い職種)しているため、しばらく実家で母と暮らす。長兄の嫁は中部地方近辺で歌手をしているのでしばらく別居。
  10時過ぎ実家で母の介護認定調査に長兄と私が立ち会う。
  午後雑務、買い物など。
  17:30長兄と内科へ。母についての聞き取り調査と市の健康診断の結果を聞くため。
  19時過ぎ実家を出る。
  郵便局本局に寄って(10日に亡くなった伯母のところに香典を送るため)、21時頃帰宅。
  マッサージには間に合わなかった。
2月15日(火)夜勤
  服喪休暇は7日以内取れるが、シフト変更は上司や同僚に迷惑をかけるため、葬儀の日だけ服喪休暇を取った。その前後に既に組まれたシフトで公休が重なったのも、なんという偶然だろうか?

 久しぶりの仕事。
 気持ちを切り替えて、しっかり仕事に臨みたい。

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父、逝く
2012年2月9日(木)午前9時33分 父が逝去しました。

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